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RAN 2

翌日のことだった。
どちらともなく待ち合わせた蘭太郎と門馬は、二人で駅までの通学路を歩いていた。
話は自然に、日本史の授業中、いつも寝ている蘭太郎の話題になった。
「歴史なんて、特に日本史なんてクソクラエだ」
女の子のように可憐な蘭太郎の唇から、激しい言葉が次々と飛び出すのを、門馬は面白そうに眺めた。
「まず第一に、僕が教科書は信用ならないと思ったのは、鎌倉時代の元寇だ。元軍は寄せ集めの兵士たちだから、やる気なくて鎌倉武士に負けちゃいましただと! 冗談じゃない! 戦はスポーツじゃないんだ。負けるってことは、すなわち死ぬこと、殺されることだ。そんなことも分らないのか? 教科書を作っている人たちは? そして、その信用ならない教科書を使って、平気な顔をして授業をする先生って、一体何なんだ?」
「元寇で対馬と壱岐はモンゴルと高麗軍に蹂躙され、両島民はほぼ全滅した。男たちは皆殺し、女子供は手の平に穴を開けられ縄を通されて船縁に吊るされ、食料にされた。二百人の少年少女が拉致され、高麗王に献上された・・・」
蘭太郎は呆然と門馬の顔を眺めた。
「ちょっと待ってくれ。食料・・・? それは、本当のことか?」
「まず真実を知ることが大切だ。余りに残酷だからといって、目を背けてはならない・・・・。彼らは人肉食の文化というか、そういう習慣を持っていたのだ。人の肉は「両脚羊(ヤンシャオロウ)」と言われ、普通の市場でも売られていた」
「要するに、極限状態で仕方なくではなく、普段からやってた、ということか・・・」
「倭寇は、知っているね」
「日本の海賊だろ」
「倭寇は元寇に対する復讐だ」
「復讐・・・」蘭太郎は足を止めた。
「高麗王に献上されたという子供たちはその後、どうなったんだ?」
門馬は暗い顔で首を振った。
「僕はこう思う」蘭太郎は空を見上げた。「拉致された家族が仲間が、万が一にも生きているかもしれない。何としてでも助け出したいって気持ちもあったんじゃないかな。今も昔も人の心はそんなには変わらないと思う。まして、同じ日本人だ・・・。
『防人に行くは誰(た)が背と問ふ人を 見るが羨(とも)しさ物思ひもせず』・・・僕は万葉集に出てくる、この歌が好きだ。千年以上昔に生きた、名も無い女の人の悲しみを、僕はありありと感じることができる」
「「防人の歌」だね。そう言えば、君は古文の時間は起きてる」
蘭太郎は微笑んだ。そして、歩き始めた。
「そうだ・・・。防人の歌だ。そんな昔から、わが国は大陸からの侵攻に備えていた。ましてや鎌倉幕府は戦さのプロだ」
門馬は深く頷いた。
「日本はそれまでにも、たびたび侵略を受けていた。「刀伊の入寇」が有名だが、その後にも、(1097年)、異賊船100隻、賊徒数万が攻め寄せ、それを撃退したとの記録がある。教科書を読んでいると、日本が侵略を受けたのは、元寇が初めてであるかのように思い込みがちだが・・・。いや、そう思うよう仕向けられている。
教科書曰く。鎌倉幕府は大陸情勢に疎く、元から使者がきて驚いた。(実際は、日本は幾度も侵略を受けてきた。鎌倉幕府は、大陸におけるモンゴルの南宋や高麗に対する侵略を対岸の火事として捉えることなく、文永の役の15年も前からモンゴルの日本侵略に備えていた)
教科書曰く。時の執権北条時宗は、世界的な一般常識である、絶対やってはいけないこと、つまり元からの使者を、いきなり切り捨てた。(実際は元の使者を切ったのは、文永の役のあとのこと。壱岐、対馬の住人に対する、余りの残虐行為を憤ってのことだ。文永の役の前は、拒絶して帰らせている)
教科書曰く。武士はバカみたいに一人ずつ元軍に名乗りをあげて、一騎打ち戦法で戦いに挑んだ。(実際は、幕府は集団戦法の徹底を命じていた。武士たちは、後に恩賞の証人になってもらうため、日本人同士、味方同士で名乗りあった)
教科書曰く。武士が劣勢だったというのは、竹崎季長が恩賞欲しさに書かせた「蒙古襲来絵詞」という、世界的にも貴重な証拠もある。(実際は、全体的に武士が優勢で元兵が負傷し逃げ惑っている。それを、武士が劣勢に見えるよう、教科書では絵の一部を切り取って使っている)
教科書曰く。敗戦濃厚だった、わが国は文永の役と弘安の役の二回とも偶然の大風、つまり神風で救われた。(実際は鎌倉武士の奮戦による日本の完勝だった。日本人が強いことを快く思わないGHQにより、歴史を捻じ曲げられ、二回とも偶然の大風という幸運の結果にされてしまった)
わが国の歴史教科書による、その後のストーリーは、おおまかにいうとこうだ。元寇以来日本は自分たちのことを神の国だと勘違いし、そのことが、やがて明治以降の軍国主義をもたらし、日本を太平洋戦争へと駆り立て、そして世界中に迷惑をかけ、日本が侵略したアジアの国々から、未来永劫許してもらえないくらい、ものすごく嫌われている。だから日本人は永遠に謝罪し続けなければならない・・・」
蘭太郎は暗い顔をして頷いた。
「本当に悲しいことだ。中国で開かれたサッカーのアジアカップのとき、日本人が今でも、相当な憎しみを持たれていることを、ひしひしと感じた・・・」
「元寇について調べること、そして、そのことについて自分の頭でしっかり考えることは、今の僕たち、いや日本人にとって必要なことだと僕は思う。現在の日本の抱える様々な問題点があぶりだされ、それに対する、ごくシンプルな答えを、自分の中に見出すことができる」
「自分の頭で考え、自分の中に答えを見つける・・・」
「例えば、『蒙古襲来絵詞』は竹崎季長が恩賞欲しさに描かせたものではない。元寇当時、鎌倉で恩賞奉行として御家人たちを査定する立場にあった恩人である、安達泰盛の供養のために書かせたものだ。恩賞のためではなく、恩人の供養のためだ。かなり真実に近い描写であると、僕は考えている」
蘭太郎は頷いた。
「うん。死んだ人に嘘はつけないからな。日本画は、画材が高価でなかなか金がかかる。今でさえそうなんだから、昔は相当な出費だったろう。考えてみれば、恩賞欲しさという説に違和感を持たない方がおかしい。
それと、鎌倉武士が、「やあやあ我こそは・・・」と名乗りを上げて、元軍に一騎打ちを挑んだという説も、考えてみれば相当変だ。言葉の通じない外国人相手に、しかも戦場で、そんな無駄で間抜けなことをするはずがない。証人になってもらうために日本人同士で名乗りあった、という君の話を聞いて、僕はかなり納得した。うん。正解に近いような気がする」
「高麗、つまり今の朝鮮半島だが、日本に味方して、元寇に使う船を手抜きして作った、と主張する説がある。しかし、元のフビライに日本へ侵攻するよう進言したのは、他ならぬ高麗王なのだ・・・。
高麗は驚くべきことに、1231年から1273年まで40年以上に渡って、モンゴル軍に抵抗し蹂躙され続け、ついに屈服した。そしてその後も、余りにも過酷な運命が待っていた。例えばこれは1231年、元からの貢物の要求だが、百万人分の兵士の衣服、馬一万匹、男女1千人・・・。1274年、高麗は未婚の女性を元に献上するため、国中で結婚を禁止しなければならないほどだった。同じ1274年正月、元は高麗に対し、日本侵攻のための船を建造することを命じた。そして君も知っての通り、高麗は元軍らと共に、その年の11月日本に攻め入ったのだ・・・。僕は高麗の歴史によって、戦争に負けるとはどういうことか、属国になるとはどういうことかを目の当たりにした」
蘭太郎は舌を巻いた。
「君は相当優秀な人物だとは知っていたが・・・。それにしても、どうしてそんなに詳しいんだ?」
「君の場合は教科書、僕の場合はサッカーだった・・・。
数年前、サッカーのワールドカップを見ていたときのことだ。試合を通して世界中の国々や人々の姿、もしかしたら、その民族の真の姿を僕はテレビを通して見ていた。
そして当然のことながら、日本に絶対勝って欲しい、何が何でも勝って欲しい! 僕は心底そう願い、テレビの前で叫び生まれて初めて心から神に祈った。でもその一方で、審判を買収したり故意に相手を痛めつけたり、そんな汚い手を使ってまで勝って欲しくない、そう考えている自分がいた。その時、分かったんだ。霧が晴れるように。みんな同じではないか。日本人だったら、誰しもそう考えるのではないか。今の日本人も昔の日本人も、そう考えるのではないか。
例えば中国のように、何度も何度も皆殺しに近い侵略を受け、昔と現在では民族が入れ替わってしまったと思われるような国もあるが。
日本の場合は、そうではない。万葉の時代から、いや縄文時代から、人々の心根は変わらないのではないか。海外で活躍するサッカー選手や野球選手の、サムライに似た頼もしい面構えを、僕は思い浮かべた・・・。
日本史の教科書やテレビで描かれる無能で醜い日本人、特に太平洋戦争中の残虐でおぞましい日本人とは、まるで違う日本人の姿が、そこにある。
変だ。何かがおかしい。ずっと、僕は騙されてきたのか?
それから、真実を追い求め、僕は旅に出たんだ。パソコンの中の、ネットという迷宮(ラビリンス)に」
蘭太郎は、ふうっと深いため息をついた。
「日本史の時間に寝ていて正解だった・・・。だが僕が眠っている間、君は旅に出ていた」
二人は、小さな公園のベンチに腰をおろした。
「元寇について調べているとき、心に残る話があった。19歳で死んだ少年の話だ。名前は少弐資時(ショウニスケトキ)
彼の初陣は文永の役のおり、12歳の時のことだった。7年後の弘安の役当時、19歳になっていた少弐資時は壱岐の船匿(ふなかくし)城にいた。そして若き大将として元軍相手に小勢で必死に戦い、最後は家来数名を引き連れて元軍に果敢に切り込み、壮絶な最後を遂げた。
彼がいた船匿城跡からは、元軍が上陸した瀬戸浦が一望できるそうだ。何千もの船、何万もの大軍を見たとき、彼は一体何を思ったろう・・・」
蘭太郎は目を閉じた。
門馬の低く落ち着いた声を聞いていると、まるで自分がその場所に立っているかの気がしてくるのだった。
一瞬、深い眠りに落ちたような気がした。
ここはどこだ? 蘭太郎は辺りを見渡した。美しい入り江に出現した、夥しい敵の群れ。蘭太郎はハッとした。
自分は資時なのか・・・?
「地元の人たちにずっと大切にされている「ショウニイ様」と呼ばれる墓があり、それが少弐資時の墓であることが分かったのは、明治時代のことだったそうだ・・・」
自分は眠ってはいない、さっきのは一体、何だったんだろう。蘭太郎は、門馬の話にじっと耳を傾けた。
「その後の弘安の役の戦いに、少弐資時の祖父・少弐資能(スケヨシ)も、84歳という高齢でありながら、参戦している。おそらく、孫の弔い合戦だったのだろう。そして乱戦の中で受けた傷がもとで、戦後間もなく亡くなった・・・」
突然、胸を締め付けられるような悲しみが蘭太郎を襲った。
「そうか。資時のじいさんが・・・」蘭太郎は空を見上げた。「・・・今日は、星も見えないな」
「ある人によると、歴史は虹のようなものだそうだ。余り近づきすぎると、水滴しか見えない。無数の歴史的事実の中には良いこと悪いこと、光もあれば影もある。日本の子供たちは戦争に負けてから、ずっと虹を見ることなく、今日のこの空のような暗黒の歴史を見せられている・・・」
「・・・門馬君、僕に虹を見せてくれないか? 君が大空に描く、美しい虹を」
http://blogs.yahoo.co.jp/sa341gazelle/MYBLOG/yblog.html

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