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RAN3

「では、まず、四大文明の嘘から始めよう」
二人は「虹の公園」と密かに名づけた小さな公園で、放課後落ち合った。
蘭太郎は、ワクワクと、門馬の次の言葉を待った。
門馬はおもむろに、プリントアウトした資料を蘭太郎に手渡した。そこには、「世界に誇る縄文文化」と書かれてある。
「門馬君。さっきの四大文明の嘘の話は・・・?」
そう言いながら、蘭太郎はその資料に目を落とした。
「これは・・・?」
蘭太郎は目を瞠った。
そこには・・・。

縄文対弥生
縄文

2005年の夏休みの頃のことです。
国立科学博物館で「縄文対弥生ガチンコ対決」という催しものが開催されました。
上にあるのは、そのときのポスターの写真です。
実は、この写真、左が縄文人、右が弥生人に現代人が扮しているのですが、服装や装飾品、髪型に加えて、モデルの顔立ち、体型などまで、非常にしっかりとした時代考証に基づいて、写真に収まっているものです。
ひとくちに縄文時代といっても、年代的にはものすごく長い期間です。
縄文時代草創期がいまから二万年~九千年くらいの前。
縄文時代早期が九千年から六千年くらい前。
縄文前期から晩期が、六千年から二千年くらい前の時代です。
縄文時代は、通して見れば一万八千年くらいの長い期間なのです。
ヨーロッパなどでは、だいたい一万年前くらいまでを旧石器時代、一万年から三千年くらいまえの時代を新石器時代などと呼びます。
ですから日本の縄文時代というは、欧州や支那における旧石器時代後期から新石器時代にかけて栄えた、まったく日本独自の文化ということができます。
冒頭の縄文時代の女性像は、その長い縄文時代のなかで、一万二千年から五千年前の鳥浜貝塚遺跡からの出土品などをベースに復元されたものだそうです。
鳥浜貝塚遺跡というのは、縄文のタイムカプセルとも呼ばれる遺跡です。
鳥浜貝塚遺跡は、福井県若狭町にあります。
丘陵の先端部にあり、現在の地表面より3~7メートル下に埋まっていた遺跡です。
海抜ゼロメートル以下の低湿地遺跡で、河床の下で、縄文人が湖岸から水中に捨てていた日常生活のゴミの山が、いわば密閉されていた遺跡です。
第10次までの発掘調査で出土した遺物は総数20数万点にも及びます。
第四次発掘調査(昭和47年)では、「鳥浜貝塚」のシンボルとも言える縄文時代の逸品「赤色漆塗り櫛」が発見されました。九本歯の短い飾り櫛で、実に美しい漆塗りが施されています。
縄文時代前期、日本最古の櫛とされています。
「取り上げた瞬間は真紅の櫛だったものが、5000年後の空気に触れたとたん、手の中でみるみる黒ずんだ赤色に変色していった。」という報告書の記述がありますが、発掘現場に居た者ならではのリアルな驚きと興奮が伝わってくるとともに、それだけ良好な保存状態であったことを示しています。
発見された遺物の中からは、編み物も数多く見つかり、当時の衣装や風俗、生活の様子がかなり詳しく明らかにされました。
これを復元して見せてくれているのが、冒頭の国立科学博物館の写真なのです。
縄文時代というと、なにやら、髭(ひげ)もじゃらで髪(かみ)はボサボサ、鹿の毛皮をかぶって下半身丸出しの原始人の姿などを想像してしまいますが。
どうやらこれは大嘘です。
こうした考え方は、「文明文化は支那から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきた」のだから、「日本文明は大化の改新(645年)以降に始まった」のであり、「それ以前には日本には文明はなかった」・・・すなわち支那が親、朝鮮が兄、日本はおとんぼ、という歴史認識から生まれた、いわば政治的な創作です。
冒頭の写真でも明らかですが、縄文時代の被服で特徴的なのが、女性の装飾品が多いことです。
耳飾り、首輪、腕輪など、種類も多彩で、しかも彫刻付きです。
耳飾りは形も大きく、繊細な彫刻が施され、ネックは複雑に加工され、ヒスイや大珠で彩られています。
腕飾りに至っては、貝殻の裏側のパールカラーのキラキラ輝く部分を表側にした美しいものに仕上がっている。
また服装は、布製で、極彩色の美しい模様が描かれています。
おもしろいことに、男性の装身具が腰飾りだけに限られいるのに対し、女性のそれは、実にカラフルに彩られ、種類も多く、加工も美しいです。
特定のシャーマンの女性だけが、ガチャガチャに着飾っていた、というのではありません。
出土品の数の多さからみて、10~200戸くらいの集落で、特定の、たとえばシャーマンだけががカラフルな装飾品をまとっていたとは言い難いのです。
つまり、すべての女性が、美しく着飾っていた、ということです。
女性が美しく着飾れるというのは、いいかえれば女性がとても大切にされてる社会だったということです。
しかもおもしろいことに、縄文時代の発掘品に、まったく「武器」が出土しないのです。
植物採取や狩猟のための道具はあっても、人を殺すための武器、たとえば長い柄のついたハンマーのようなものが、ありません。もちろん刀剣や槍の類もないのです。
女性たちが繊細な彫刻を施した装身具や、美しく彩色された衣類で美しく着飾り、男性たちは武器を持たない。
おそらく繊細な加工を施す彫刻品や土器などの生産は、男たちがやっていたことでしょう。
男は狩猟や採取を行うかたわら、繊細な彫刻品を作る(彫刻品の多くはいまでも男の仕事です)。
女たちは男たちが作った装飾品で、きれいに着飾り、食事や子育てを行う。
ちなみに、日本の縄文期の遺跡は、数千か所発掘されていますが、諸外国に見られるような、頭に矢じりが突き刺さっているようなもの、肋骨に槍の穂先が挟まっているような遺体は、いまだ発見されていません。
つまり、縄文期の日本は、人が戦いや争いをすることなく、男女がともに働き、ともに暮らした戦いのない、平和な時代だったということができます。
日本では、そういう時代が二万年近く続いたのです。
これはすごいことです。
日本人は平和を愛する民族です。
戦いよりも和を好む。
そうした日本人の形質は、縄文時代に熟成されたものといえるかもしれません・・・。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-802.html

蘭太郎は、資料から顔をあげ、しばらくの間、黙り込んだ。
そしてもう一度、冒頭の女性の写真を眺めた。
「これは布か? 縄文人って、こんな可愛い格好をしていたのか。今と変わらないじゃないか、いや、むしろ、こんな手作りの愛情のこもったオリジナルのアクセサリーを身に付けていたとは」
そして考えをめぐらすように顔を傾げた。
「四大文明は・・・メソポタミヤ文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明。だいたい紀元前3000年前後・・・チグリス・ユーフラテス河、ナイル河、インダス河、黄河・・・。大河沿いに起こった・・・」
「ああ・・・」
「世界の文明は、ここから始まったのかと思っていた。そして、そこから伝わった、と。人類の黎明期というか。人類の能力が格段に進歩した頃だと思っていた・・・」
「日本には、世界最古と思われる遺跡がある。青森県にある「大平山元|遺跡(おおだいやまもといちいせき)で、16500年前ものだ。少し、混乱させるかもしれないが、黄河文明はコーカソイドが担っていた。つまり、白人だ。それより前、中国にはモンゴロイドによる長江文明が栄えていた」
「え、コーカソイド? とりあえず今は四大文明に絞ってくれ・・・。
四大文明って一体何だ。世界共通の学説ではないのか? 人類共通の認識ではないのか?」
「まあ、一種のポエム(詩)だな」
「ポエム・・・!」
 (つづく)
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