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RAN4

門馬はバッグの中からファイルを取り出し、その中の一枚を、蘭太郎に手渡した。

この「世界四大文明説」というのは、トインビーよりも少し古くて、支那の梁啓超(りょうけいちょう)が「二十世紀太平洋歌」(明治33(1900)年出版)で唱えたのが最初です。
彼はこの本の中で、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べています。
梁啓超は、日本に亡命し、日本で学び、支那の民主化運動を図った清朝末期の政治家です。
彼は、清朝末期に、国が乱れ、支那が国家として再生するうえで、支那人達に自国の歴史への誇りと自信を深めてもらうために、いわば目的的にこの本を書いています。
ようするに彼は政治家であって、「支那には世界の大文明の一翼を担った歴史があるのだから、俺たち支那人は、もっとこの国に誇りをもとうよ」という主張をするためにこの「世界四大文明説」を唱えています。
つまり「世界四大文明説」というものは、学説ではなく、政治的に生まれた造語です。
実際、この考え方は、誇りを取り戻そうとする支那人たちには大歓迎されたけれど、欧米ではまったく評価されなかった・・・。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-791.html

「ふう・・・」
蘭太郎は、顔を上げた。
「世界史の教科書も油断ならないのか。それで、黄河文明は白人だったというのは?」
「最新のDNA検査というものは、目ざましいものがある。犯罪においてしかり、植物においてもしかり・・・」
門馬はファイルの中の資料を蘭太郎に手渡した。

平成12(2000)年のことです。
東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らが、中国で発見されている遺骨のDNA分析の結果を発表しました。
調査の対象となったのは、
1、約2500年前の春秋時代の人骨
2 約2000年前の漢代の臨淄(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨
3 現代の臨淄住民
です。
これらの人骨から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、三つの時代の臨淄人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。
どういうことかというと、約2500年前の春秋戦国時代の臨淄住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近い。
約2000年前の前漢末の臨淄住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近い。
現代の臨淄住民の遺伝子は、現代「東アジア人」の遺伝子と変わらない。
つまり、2500年前の支那大陸で、春秋戦国時代を築いていた集団は、現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団であった、すなわり、いまの支那人たちとは、まるで異なる集団であったということです。
言いかえれば、2500年前から2000年前の500年間に、支那では大きな遺伝的変化が生じた、つまり、支那大陸では、大規模な人類の移動があったということです。
そもそも中国語と英語を含むヨーロッパ系言語では、文法や語順のなどが、非常に似通っています。
たまたま文字が漢字であるため、見た目のイメージはまるで異なる言語にみえるけれど、語族として考えたら、日本語と中国語よりもはるかに支那語は、ヨーロッパ系言語に近い。
しかも、ひとくちに中国語といっても、支那は広大な大陸です。
さまざまな方言があり、外国語並みにたがいに言葉が通じない。
文法や語順、あるいは基本的名詞に至るまで、まったく違うものもあり、もはやその言語は、互いに別な言語というほうが、はるかに正しいです。

・・・結局支那で考古学的にはっきりとその存在が証明されているのは、「殷王朝」で、これは、紀元前17世紀頃から紀元前1046年の王朝です。遺跡もある。
そして遺跡があるおかげで、この時代の殷王朝を形成した人々が、いまの漢民族とは、まるで異なる遺伝子を持った別な民族であったということが立証されてしまっています。
時代が下って、西暦220年頃の三国志に登場する関羽とか張飛とかのを見ると、関羽は、髭(ひげ)の長い巨漢、張飛は、ずんぐりむっくりの巨漢です。
遺伝的特徴からしたら、髭(ひげ)の薄い漢民族の特徴というよりも、関羽あたりは北欧系のノルウェーの海賊(バルカン民族)の特徴をよく備えているし、張飛の遺伝的特徴も、漢民族的特徴はまったくなくて、どうみても、北欧系のドワーフです。
関羽や張飛の姿は北欧系のコーカソイドの遺伝的特徴そのものである
そしてこの時代の人骨からは、先に述べたとおり、明らかにヨーロッパ系の遺伝子を持った遺伝子・・・漢民族とは異なる遺伝子を持った人骨・・・が発見されています。

さらに時代をさかのぼると、支那の文明の始祖として、20世紀前半に黄河文明の仰韶(ヤンシャオ)遺跡が発掘されました。仰韶遺跡は、紀元前5000年から同3000年まで続いた文化です。
遺跡からは、彩文土器、竪穴住居、磨製石斧などが出土し、彼らが粟などの栽培や、豚や犬の飼育、鹿などの狩猟を行っていて、竪穴住居に住み、集落を形成し、石斧・石包丁などの磨製石器や彩陶を使用していたことは、明らかになっています。
しかし、そこで発見された彩陶土器は、西アジア、中央アジアから伝来したものです。
つまり、どうやら工具的にも、ここの文化を構築した人たちは、東洋系の人種ではなく、コーカソイド系の人たちだったようです。漢民族的特徴を示す物は、残念ながら発見されていません。
これに対し、黄河文明よりも、もっと古い遺跡として発見されたのが、長江文明です。
これは紀元前6000年~紀元前5000年ごろのもので、河姆渡(かぼと)遺跡などからは、大量の稲モミなどの稲作の痕跡と、高床式住宅、玉器や漆器が発見されています。
栽培されていた稲は、ジャポニカ種です。

どういうわけかジャポニカ米の原産地は、長江中流域などとされ、日本の稲作の起源が、支那の長江流域などと「決め付け」られているけれど、ジャポニカ種の米の栽培(稲作)に関しては、日本の岡山県の彦崎遺跡と朝寝鼻遺跡が縄文前期(紀元前6000年前)のものなどがあり、もしかすると成立年代的に、日本で始まった水田灌漑技術と、稲が、支那にわたって長江文明を形成した可能性も否定できません。

要するに、いまから約8000年前に、日本には稲作文化があり、7000年前には、支那の長江流域に、日本と同じ稲作を営む集団がいたということです。

そして、長江文明を営んでいた人骨は、明らかにモンゴロイド系の特徴を持っています。
そのモンゴロイド系の遺伝子を持つ長江文明を形成した人々は、その後西から移動してきた麦作と牧畜を基礎とした文化を携えたコーカソイド系の人々によって滅ぼされてしまいます。
で、できたのが黄河文明です・・・。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-815.html

蘭太郎は顔を上げ、
「モンゴロイドもコーカソイドも、昔からやってたっていうことか・・・。
チンギスハーンを始めとする元軍の、アジアはもちろん、ヨーロッパから中近東まで恐怖のどん底に叩き落すような縦横無尽の残酷さに、同じモンゴロイドとして、申し訳ないような気持ちになっていた所だ。大陸では、殺らなければ殺られる。滅ぼさなければ滅ばされる。今、中国大陸に住んでいる人々は、最終的に勝ち残った人たち、ということか・・・。あっ!」
そしてもう一度、その資料に目を落とした。
「8000年前の日本に稲作文化? 稲作は弥生時代から始まったんじゃないのか・・・?」
「知っているか? 稲作は、日本から朝鮮半島へ伝わった」
「もちろん・・・。えっ? 何だって!」
                     
                     (つづく)
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