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満月

ここは、天国研究所の中庭。
白い猫が絵のように、池のほとりに佇んでいる。
死神のシィーが、ふと、池を覗き込むと、震えるようにさざなみが立ち、蓮の花の咲く水面に映る白い猫は、小さな可愛い女の子の姿に変わった・・・。


そこは、古びたアパートの二階にある高橋冬子の部屋だった。
窓の外も部屋の中も、春の夜の柔らかな闇に満ちている。
「お母さん」
「なに?」
「お星様も死ぬの?」
「私たちは、いつまでも一緒よ」
冬子は、そっと女の子に寄り添った。抱きしめてしまったら、消えてしまう。ずっと、そんな気がしていた。

女の子が冬子の前に初めて現れたのは、美しい満月の夜のことだった。
住みなれた街を離れ、愛する人の前から黙って姿を消し、知人のつてを頼って図書館に勤め始めたばかりだった。そこは大金持ちの道楽で作られた図書館で、仕事は忙しくはなかったが、覚えなければならないことが多かった。慣れない仕事に疲れ、冬子はカーテンを開け放しにしたまま眠ってしまった。
気がつくと、小さな可愛い女の子が冬子のすぐそばにいた。冬子は、すぐにあの時の子だと直感した。それは誰にも知られぬまま消えていった我が子だった。
窓から、清らかな月の光がさしていた。
その日から毎晩のように、冬子が眠ると女の子は現れた。

満月の翌日のことだった。いつものようにテキパキと図書の整理をしている冬子に、若い男性客、西村肇が声をかけてきた。
西村は毎日のように図書館に顔を出し、いつしか冬子と挨拶を交わす間柄になっていた。
「満月から次の満月までの間に、この図書館で本を百冊借りると思いが叶うんです」
「まあ。本当なんですか? ここには、そんな言い伝えが」
冬子は、辺りを見渡した。
そう言われてみると、そうかもしれないと思わせるような、重厚でほんの少しひんやりとした雰囲気が、この図書館には漂っていた。
「すいません。嘘です。でも、本当です」
「まあ。私も借りようかと思ってしまいました」
「何か適当な本はありませんか? できれば、すごく薄くて読みやすいやつ」
「そうね。若い方だったら」
「そんなには若くないです」
微笑みの手前で、冬子は表情を止めた。
「分かりました。百冊ですね。お待ち下さい。
そう言い残すと、冬子は奥の部屋へと消えた。リズミカルな靴音が響く。幸せそうな表情で、西村は、その音を聞いていた。
「じゃあ、これはいかがでしょう」
戻ってきた冬子は、両手に抱えた絵本を十冊、カウンターの上にどさりと置いた。
泣いた赤鬼、ゆきむすめ、まてまてー、百万回生きた猫、おまえうまそうだな、しろいうさぎとくろいうさぎ等々。
「はあ」
「おススメですわ」
冬子はにっこり微笑んだ。

その日の夜、冬子は枕元に絵本を置いて寝た。気がついた時、自分の大好きな絵本「まてまてー」を女の子に読み聞かせていた。枕もとの小さな明かりが、楽しそうな二人をほのかに照らした。

翌日、図書館に現れた西村に冬子は、書棚に六十巻まで並ぶ、漫画の三国志を薦めた。
「一巻・桃園の誓い」から、「二六巻・赤壁の戦い」までを指さした。
「とりあえず、ここまでお読みになって」

翌々日、目を赤くした西村が冬子の前に現れた。そして、カウンターの上に、三国志一巻から二六巻までをどさりと置いた。
「続き、お願いします」
冬子は目を丸くした。
「まあ、たった三日で?」

何日か後に現れた西村は、ますます目を赤く腫らしていた。
「諸葛孔明が死んでしまいました。張飛も。関羽も。みんな」
「頁を開けば、また会えますわ。ここにくれば、いつでも」
西村は深くため息をついた。
「それに、みなさん、もう、とっくに亡くなっていらっしゃいます。どんなに長生きされた方でも。今から一八〇〇年昔です。日本でいったら魏志倭人伝。卑弥呼の時代です」
「お詳しいんですね・・・」
「男の人は、みんな三国志が好きですわ」
冬子は微笑み、目を伏せた。
そう、あの人も「三国志」が好きだった。

その日の夜、冬子は絵本「おまえうまそうだな」を女の子に読み聞かせていた。枕元の明かりを消した時だった。
「お母さん、お父さんのこと、好き?」
「うん。大好きだったよ」
女の子は、うれしそうに微笑んだ。
冬子は、女の子の肩をそっと抱いた。
ごめんね。お父さんは、あなたのことを知らないの。あなたが私のお腹の中にいたことを。

冬子は雨が嫌いだった。いまだに雨の日、アパートの外階段を下りるのが怖い。
窓の外は、しとしとと雨が降っている。
「次は、星新一はいかがですか」   
図書館の書棚の前で、西村と並んで立ち、冬子は「ボッコちゃん」「ボンボンと悪夢」「おのぞみの結末」と順に指さした。
「必ずこの順番で。物事には何事も順序というものがあります。それを間違えると、不幸なことが」
「えっ」
「嘘ですわ。でも、本当です」
前を歩いていく冬子に、西村が遠慮がちに声をかけた。
「あの、左足どうかなさったんですか?」
冬子は、ゆっくりと振り向いた。
西村が、心配そうに冬子を見つめている。
「雨の日に、怪我をしたことがあるんです」
窓の外の雨を冬子は眺めた。それは、冬子が妻子と別居中の人と恋に落ち、一緒に暮らし始めた矢先に起きた。

その夜。冬子はあの夢を見た。
「僕のお父さんを返して!」
男の子の声が聞こえる。歩道橋の階段を冬子は墜ちていく。階段の下で、お腹を押さえる冬子。苦しげに顔を歪ませる。しとしとと冷たい雨が降っている。
女の子の声がした。
「わざとじゃない。事故だったの。お母さん、お兄ちゃんを恨まないで」
歩道橋の上で呆然としている小学生の男の子が見える。驚いた悲しそうな顔が見える。
雨が上がり、やがて窓からさす月の光。穏やかな表情を浮かべ、冬子は眠った。

図書館の中を、冬子と西村は並んで歩いていく。
「今日からは、ご自分の読みたい本をお読みになって」
コツコツと、冬子はリズミカルに歩いている。
「まず、題名が気になった本、気に入った本を片端から手に取り・・・」
「片っ端から?」
「ええ。片っ端から。本は題名と、最初の頁の二、三行を読めば分かります。読むに値するか、そうでないか。特に小説は」
分厚い「ハリーポッター」「ダ・ヴィンチ・コード」の前を、二人は歩いていく。
「すいません。でも僕には時間が」
「大丈夫ですわ。いざとなったら『サザエさん』があります」
微笑み立ち去ろうとする冬子の前に、西村が急いで回りこんだ。
「高橋さんの、一番好きな本を教えていただけませんか?」
「私の?」
西村の真剣な眼ざしが、冬子のすぐ近くにある。
「僕、百冊目はそれを借りたいんです。あなたが一番好きな本を」
狭い書棚の間で、二人は見つめ合った。

「明日は満月ね」
冬子は、そっと甘いため息を洩らした。
「お母さん。お願いがあるの」
「なに?」
「私に名前をつけて。それから」
冬子は、女の子の顔をじっと見つめた。
「それから・・・?」
「私のお葬式をして」
優しく微笑む女の子を、冬子は抱きしめた。
「お母さん、幸せになって」

冬子は、はっと目を覚ました。布団から起き上がり、辺りを見回す。誰もいない。
冬子はひっそりと泣いた。窓から、清らかな月の光がさしていた。

東京タワーが後ろに聳える増上寺の本堂で、冬子は長い間両手を合わせた。
黒い服と胸元の真珠の首飾りが、朝の光に柔らかく輝いた。
風の中に、声が聞こえる。
「おかあさん・・・」
その声を追いかけ、冬子は叫んだ。
「どこにいるの?」
「菜々! 菜々ちゃん」
沢山のお地蔵さんの、色鮮やかな風車が一斉に、くるくると回りだした。
遠く去りゆく一陣の風を、冬子はいつまでも見送った・・・。


天国の中庭。
蓮の花が咲き乱れ、かぐわしい香りに満ち、えもいわれぬ美しい音楽が流れている。
池のほとりに佇んでいた、シィーは、白い猫を抱き上げると、そっと頬を寄せた。
シィーの瞳から、涙が一粒流れ、白い猫が金色に輝いた。
「ナナ、あなたは七番目の神様。これからは、私とずっと一緒よ」
                                  
                                    (完)       
     
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