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葵を待つ間、きのう門馬から無理矢理借りた、もう一つのプリントを桜子は眺めていた。そういえば、門馬君、大丈夫かな。今日も休んでる…。

ぼやきくっくり
日本人は今、世界一、自分の国の歴史を知らない人たちになっている。自分の国の歴史を知らない人が、何で「国民」なのか。日本人の歴史を知らない人が、何で「日本人」なのか。(櫻井よしこさんの言葉)

250年前の朝鮮人が羨み恨んだ豊かな日本…金仁謙「日東壮遊歌」より
2013.05.06 Monday

 先日、ひょんなことから、金仁謙の「日東壮遊歌」という本があることを知りました。
 金仁謙は第十一次朝鮮通信使で、1764年に来日しました。
 「日東壮遊歌」は金仁謙の日本滞在中の記録です。
当時の知識階級男性の著作としては珍しくすべてハングル文で書かれ、律文詩(歌辞(カサ)と呼ばれる文学様式)の形をとっているそうです。
 この本を入手できないかとネットで古書店も含めて検索しましたが、現在は入手困難のようです。
 そこで今日はとりあえず、ネットなどで紹介されていた「日東壮遊歌」の記述から、一部をまとめて引用したいと思います。
 

 「日東壮遊歌」を実際に読まれた方の書評など拝見しますと、最初は反日的記述が目立つものの、だんだんと物の見方が変わってきて、日本の繁栄ぶりを褒めたり、あるいは羨ましく感じたりと、そういう記述が増えてきているそうです。

 1月20日 大阪
  人家が塀や軒をつらね
  その賑わいの程は
我が国の鍾路(註:ソウルの繁華街)の万倍も上である

 1月22日 大阪
  我が国の都城の内は 
  東から西にいたるまで一里といわれているが
  実際には一里に及ばない
  富貴な宰相らでも
  百間をもつ邸を建てることは御法度
  屋根をすべて瓦葺きにしていることに 感心しているのに
  大したものよ倭人らは 千間もある邸を建て
  中でも富豪の輩は 銅をもって屋根を葺き
  黄金をもって家を飾りたてている
  その奢侈は異常なほどだ
  (中略)
  天下広しといえこのような眺め
  またいずこの地で見られようか
  北京を見たという訳官が 一行に加わっているが
  かの中原(註:中国の中心地)の壮麗さも
  この地には及ばないという
  この良き世界も 海の向こうより渡ってきた
  穢れた愚かな血を持つ 獣のような人間が
  周の平王のときにこの地に入り 今日まで二千年の間 
  世の興亡と関わりなく ひとつの姓を伝えきて 
  人民も次第に増え このように富み栄えているが 
  知らぬは天ばかり 嘆くべし恨むべし

 「中国の周の時代に日本に渡ってきた(!?)穢れた愚かな血を持つ獣のような人間」と、日本人に対し大変な蔑視感情を抱きつつも、その日本人が「2000年間ひとつの姓(天皇)を存続させている」ことがよほど悔しかったようです。

 1月28日 京都
  沃野千里をなしているが 惜しんであまりあることは
  この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり
  帝だ皇だと称し 子々孫々に伝えられていることである
  この犬にも等しい輩を みな悉く掃討し
  四百里六十州を朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳を持って
  礼節の国にしたいものだ

 ここでも「犬にも等しい輩」と日本人を大いに侮蔑しながらも、日本の豊かさや安定、それに天皇の存在を羨んでますね。
 ちなみに、金城湯池(きんじょうとうち)の「金城」とは防備の堅固な城壁、「湯池」とは熱湯の沸きたぎる濠。
 他から侵略されない極めて堅固な備えをたとえたものです。

 その後、金仁謙一行は名古屋にやって来ます。
 名古屋でもやはり「街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。凄い」「朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べるととても寂しい」といった記述が見受けられます。
 他に、日本人の容姿についても記されています。

 2月3日 名古屋
  人々の容姿のすぐれていることも 沿路随一である
  わけても女人が 皆とびぬけて美しい
  明星のような瞳 朱砂の唇 白玉の歯 蛾の眉
  芽花の手 蝉の額 氷を刻んだようであり
  雪でしつらえたようでもある
  人の血肉をもって
  あのように美しくなるものだろうか
  趙飛燕や楊太真が
  万古より美女とのほまれ高いが
  この地で見れば 色を失うのは必定
  越女が天下一というが
  それもまこととは思えぬほどである
  これに我が国の衣服を着せ
  七宝で飾り立てれば 神仙鬼神もさながらと
  恍惚感いかばかりだろう
 趙飛燕は前漢成帝の皇后(?~紀元前1年)、楊太真は日本でもおなじみの楊貴妃(719年~756年)です。

 その後、金仁謙一行はついに江戸に入ります。
 実は、第十一次朝鮮通信使の目的は、徳川家治(在職1760年~1786年)の将軍襲職祝いでした。

 ところが、金仁謙は「犬にも等しい倭人に拝礼するのが苦痛である」と将軍との謁見を拒み、一人宿舎に残ったそうです。
 その一方で、金仁謙は、大阪や京都よりもさらに繁栄した江戸の街の様子に驚嘆し、こう述べています。

 2月16日 品川→江戸
  楼閣屋敷の贅沢な造り
  人の賑わい男女の華やかさ
  城壁の整然たる様 橋や船にいたるまで
  大阪城 京都より三倍は勝って見える
  左右にひしめく見物人の数の多さにも目を見張る
  拙い我が筆先では とても書き表せない

 話は大阪に戻りますが、淀川での記録の中に、さらに興味深いくだりがあります。

  河の中に水車を設け 河の水を汲み上げ
  その水を溝へ流し込み
  城内に引き入れている その仕組みの巧妙さ
  見習って造りたいくらいだ

 水車の機構の見事さに、いたく感服したようです。

【「ぐうたらたぬき途中下車」様より「淀川瀬水車旧跡」碑。すでに12世紀末の史料に「淀の川瀬の水車」という記述があるそうです】

 他に、金仁謙一行は、対馬で食べたサツマイモの美味しさに感激し、種芋を乞うてサツマイモを朝鮮半島に持ち帰っています。
 これにより、サツマイモが朝鮮半島へ初めて伝わりました。
 サツマイモ伝来は、後に朝鮮の飢饉を救うこととなります。
 ちなみに、同時代に日本を訪れた他のヨーロッパ人も、日本の豊かさや文化の発展ぶりを記録を残しています。
 たとえば、金仁謙より約10年後の1775年に来日したC・P・ツュンベリーの『江戸参府随行記』には、このような記述があります。

 「地球上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。・・・その国民性の随所にみられる堅実さ、法の執行や職務の遂行にみられる不変性、有益さを追求しかつ促進しようという国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない」
 「その国のきれいさと快適さにおいて、かつてこんなにも気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった。また人口の豊かさ、よく開墾された土地の様子は、言葉では言い尽くせないほどである。国中見渡す限り、道の両側には肥沃な田畑以外の何物もない」
 「日本人を野蛮と称する民族のなかに入れることはできない。いや、むしろ最も礼儀をわきまえた民族といえよう」
 「この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。彼らの鋼や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである」
 「日本には外国人が有するその他の物――食物やら衣服やら便利さゆえに必要な他のすべての物――はあり余るほどにあるということは、既に述べたことから十分にお分かりいただけよう。そして他のほとんどの国々において、しばしば多かれ少なかれ、その年の凶作や深刻な飢饉が嘆かれている時でも、人口の多いのにもかかわらず、日本で同じようなことがあったという話はほとんど聞かない」
(以下略)

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