FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

RAN 第2章

門馬は自分のパソコンを開くと、暗い窓の外を見た。
かつて、日本が全世界を敵に回すかのような無謀な戦いに突入していった。日本人は何に戦いを挑み、何と必死に戦ったのか、その正体を暴かなければならない。 16世紀、インカ帝国をあっという間に滅ぼしたとされるピサロ(インカ皇帝の身代金として、莫大な貴金属を受け取ったが、約束を反故にして処刑した)のことは知ってはいたが…。死屍累々であろうことは容易に想像していたが…。門馬は深いため息をひとつもらすと、あるサイトを開いた。

******************************

叡智の禁書図書館<情報と書評>
ダ・ヴィンチ・コード関連情報の探索と濫読書評のブログ  by alice-room
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 ラスカサス著

何かの本で紹介されていて気になっていた本。会社休んで神田の古書店街をうろついていてGETしました。
コロンブスが新大陸を発見後、スペイン人が続々とおとずれ、原住民のインディオ達を虐殺しまくり、金を奪い、人々を奴隷として虐げるまさに『生き地獄』が始まる。本書はスペイン本国には届かない(隠されたいた征服行為の実態を)そういった非道の行為をスペイン国王に訴え、直ちに禁止しようと働きかける為に書かれたレポートです。

本書を書いたのはカトリックのドミニコ会の聖職者。

著者はスペイン人の侵略者と混じって現地へ布教を目的に渡ったものの、大陸で見たものは、キリスト教の福音を広めるどころか、悪魔そのものの行動で原住民のインディオを略奪、拷問、虐殺するスペイン人の同胞達。

インディオにとって、キリスト教・キリスト教徒とは、悪魔の宗教とその僕に他ならず、この世の楽園のような平和が『金』を求める侵略者に蹂躙される様を数十年に渡って見続け、あまりの理不尽さと憐れみから、インディオ達によるスペイン人の殺害さえも正義の行為と看做すなど、当時にあっては、むしろ例外的な存在だった人物だったようです。
本書を読むと、その半端ではない侵略行為の凄まじさに言葉を失います。
本来はキリスト教の福音を広める為という建前の下で植民者へ付与された権利は捻じ曲げられ、ひたすら『金』と『奴隷』獲得を目的とする侵略行為を正当化に使われます。

実際、彼らが行った結果は、数百万、数十万人のインディオが住んでいた島々を全滅させ、あるいは数十人しか生き残っていない状態にまでしました。島は荒廃し、この世の楽園は見るも無残な生き地獄と化したのです。

しかもそれを行ったスペイン人は、厳しい航海で生死の境にあった時に、無償で食料と住居を提供してくれた非常に慈悲深いインディオ達に対して、その返礼として為されたのでした。

原住民のインディオは、非常に穏健且つ従順であり、また善良であったが故に、スペイン人の求めるままに食料や金まで差し出したのですが、彼等はより多くのものを求め、効率良く『金』を集める為に、人々を虐殺したのです。

本書では彼らが為した極悪非道の所業が延々と羅列されています。現実の役に立つとは思えない道徳の教科書よりは、本書を一読することをお薦めしますね。いかほども教育効果が高いでしょう。戦争はいけないとか、正義とか、立派なお題目はさておき、『正義』は勝ち取ってこその正義であります。イエーリングの「権利のための闘争」を読むまでもありません。現実の世界に、水戸黄門や遠山の金さんはいないのです。(ランボーもいませんけどね)

『大航海時代』なんて、所詮、こんなもんです。某国が石油利権の為に堂々と侵略戦争を行って未だに撤退しないのと五十歩百歩の行動原理です。利益の為に、人は大胆且つリスクテーカーとして行動するのであって、決して善意の為ではありません(例外はあるし、否定はしませんが・・・)。人の行動は今も昔も変わりません。

正義ではなくて、強者が勝つんだなあ~と思いました(勝てば官軍って訳です!)。欲望への執着心こそ、最強の行動原理かもしれませんね。

だからといって、正義を踏みにじって利益の為に邁進するのも私の人生哲学に反するのでできませんが、負け惜しみで綺麗事の『正義』を主張するのもいかがなものかと思います。

世界史の副読本として、こういうの読まないとねぇ~。世界史の先生自体が世界を知らないのでは話になりませんが・・・。まあ、期待してはいけないかも?

まあ、論より証拠で本文より印象に残った部分を抜粋してみます。実はあまりにも凄過ぎてキリがないのですが・・・。
ある日、ひとりのスペイン人が数匹の犬を連れて鹿か兎を狩りに出掛けた。しかし、獲物が見つからず、彼はさぞかし犬が腹をすかしているだろうと思い、母親から幼子を奪ってその腕と足を短刀でずたずたに切り、犬に分け与えた、犬がそれを食い尽くすと、さらに彼はその小さな胴体と投げ与えた。
無法者のドイツ人総督はインディオをその妻子をできるだけ大勢捕らえるよう命じた。そこで部下たちは特別に作っておいた大きな囲いのような木の柵の中へインディオ達を閉じ込めた。邪悪な総督は、そこから出て自由になりたい者は身代金として一定量の金を差し出さなければならないと知らせた。同じように、妻や子を身請けしなけれなかった。総督はインディオ達を一層苦しめようと考え、要求した身代金を持参するまでは彼らに食事をいっさい与えてはならないと命じた。大勢のインディオは、使いの者を金を取りに家へやり、そうして、それぞれがあるだけの金を差し出し、自由を取り戻した。このようにして解放されたインディオ達は畑は戻り、食事の用意をするために家へ帰った。

ところが、その無法者はこうして一度自由の身となった哀れなインディオたちをふたたび捕らえるために、数人のスペイン人略奪者を派遣した。彼等はインディオたちを元の囲いへ連れ戻し、ふたたび身請けされるまで、彼らに飢えと渇きの苦しみを味わわせた。インディオたちの中にはニ、三度捕らえられ、その都度身請けされた者もいたし、また、持っていた金を既に残らず差し出してしまっていたために、もはやそれも叶わず、まったく身代金も無い者もいた。無法者は彼らをずっと囲いの中に閉じ込めておいたので彼等は餓死してしまった。
彼は奥地へと遠征し、無数のインディオを連行したが、インディオたちは鎖に繋がれ、重さ3、4アローバの荷物を担がされた。なかには空腹と過酷な仕事、それに生来の虚弱さのために疲労し、気をうしなったりするインディオたちが幾人かいた。その時、彼等は一番外側の首枷につないだインディオたちをいちいち止めて鎖を外すのが面倒なので、即座に、倒れたインディオの首枷の辺りを斬りつけた。すると、首と胴体はそれぞれ別の方向へ転げ落ちた。彼等はそのインディオが担いでいた荷物を沸け、ほかのインディオたちの荷物のうえにのせた。
既述したとおり、スペイン人たちはインディオたちを殺し、八つ裂きにするために獰猛で凶暴な犬を仕込み、飼いならしていた。真のキリスト教徒である人々、また、そうでない人も彼らがその犬のえさとして大勢のインディオを鎖につないで道中連れて歩いたという事実を知っていただきたい。おそらく、そのような行為をこれまでに耳にしたことはないであろう。インディオたちはまるで豚の群れと変わらなかった。スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。「申し訳ないが、拙者が別な奴を殺すまで、どれでもいいからその辺の奴の四半分ほど貸してくれ。犬に食べさせてやりたいのだ」と、まるで豚か羊の肉の四半分を貸し借りするように、彼等は話し合っていた。

別のスペイン人たちは、朝、犬を連れて狩りに出掛け、昼食を取りに戻り、そこで互いに狩の成果を尋ねあう。すると、ある者は「上々だ。拙者の犬は十五、二十人ぐらい奴らを食い殺したよ」と答えていた。島々では、牝馬一頭につき、理性を備えた人間であるインディオの八十名が交換された。
その無法者はいつも次のような手口を用いた。村や地方へ戦いをしかけに行く時、からは既にスペイン人たちに降伏していたインディオたちをできるだけ大勢連れて行き、彼らを他のインディオたちと戦わせた。彼はだいたい一万人か二万人のインディオを連れて行ったが、彼らには食事を与えなかった。その代わり、彼はそのインディオたちに、彼らが捕まえたインディオたちを食べるのを許していた。そういうわけで、彼の陣営の中には、人肉を売る店が現われ、そこでは彼の立会いのもとで子供が殺され、焼かれ、また、男が手足を切断されて殺された。人体の中でもっとも美味とされるのが手足だったからである。ほかの地方に住むインディオたちはみなその非道ぶりを耳にして恐れのあまり、どこに身を隠してよいか判らなくなった。

ローマ皇帝のネロもまだ良心的に感じられてしまいます。人ってここまで卑しくなれるんですね。他にも国王から金を根こそぎ絞り取る為に、拷問に次ぐ拷問をする話や、王妃を乱暴して陵辱し、殺す話など、いくら過去のことはいえ、鬱になりそうな話が載っています。

それがあの華々しい大航海時代、スペインの繁栄だったりするわけです。ルネサンスももうすぐだしね。

極論すれば、世界史なんて本書の本を一冊読んだ方が得られるものが多いような気がします。教科書の内容はすぐ忘れますが、本書の内容を忘れられる人はなかなかいないでしょう。

日本人が南京大虐殺で行ったことや、満州帝国が阿片の利益で運営されていたことなど、他人事ではないんだけどね。まあ、リアルタイムでパックス・アメリカーナも大差ないことしてますけど・・・。

いろいろと勉強になる一冊でした。

そうそう、面白いことに本書はその後の歴史で、当初の意図とは全く異なる使われ方をしたそうです。最初は、西欧諸国によるスペイン支配への反対の資料として。また、アメリカ独立戦争や第二次大戦後のアフリカにおける植民地の独立運動など、多彩な方面で本書がたびたび採り上げられたそうです。

実際に、スペインで禁書にされたようで、うちのブログで扱うにはうってつけだったりする(・・・って、オイ)。

う~ん、歴史って予想もつかないもんです。あまりにも酷過ぎる描写故に、インパクトがあるのでその時代時代で都合のいいように利用されたんでしょうね。
でも、そういった経緯は別にしても読んでおいて悪くない本です。人というものについて、改めて考えさせられることが多い本です。

******************************

暗澹たる思いで、門馬はそのサイトを閉じた。
「それにしても」
大多数の日本人の頭の中は、洗脳教育により、惨たらしく何十万人もの人々を虐殺する日本兵の姿が刷り込まれ、思考停止状態になっている…。
えっ・・・?
 「日本人が南京大虐殺で行ったことや、満州帝国が阿片の利益で運営されていたことなど、他人事ではないんだけどね」
ひょっとして、ここの管理人はこれを刷り込みたくて、この本の紹介をしたのか? いや、自分も蘭太郎に「倭寇」のことを、軽率に日本の海賊だと伝えてしまっていた・・・。
どちらにしても、人間なんて一皮むけば、みんな同じだという諦念が心の中にあるのだろう。
かつての日本は「阿片」の密輸でもうけていたのか? 満州帝国はそれで成り立っていたのか?
満州帝国、阿片、密輸・・・。
何と、禍々しい響きだろう。
満州とは国だったのか?
満州はあの有名な万里の長城の外にあるはずだ・・・。
「満州、阿片」をしらべるだけでも、深い暗い迷宮に迷いこみそうだ。
・・・日本は、リーマンブラザーズから借りた日露戦争の借金を1986年までかかって返した。
情けないことに頭の固い外交官のせいで、真珠湾攻撃の前に宣戦布告が間に合わなかった。
サンフランシスコ講和条約第11条第2項で、 東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は「戦犯」を赦免できることになっており、日本はこれをまじめに取り組み、関係各国に働きかけ、戦犯の釈放を昭和31年、昭和33年に正式に勝ち取った。
こういう国民性を愚直というのだろう。
そんな日本人が阿片を「密輸」するか?
「いや、するはずがない」
蘭太郎なら、即座にそう答えるだろう。
歴史をみれば今が分かり、今を見れば歴史が分かる。
日本に立ちはだかるアメリカを見ていると、東京湾に突如出現し、威嚇しながら開国を迫った黒船の姿と重なる。黒船来航で日本中は大混乱に陥った。水戸藩においては特に深刻で、開国か攘夷か二派に分かれ血で血を洗う争いに発展し、一族皆殺し、そしてその復讐という凄惨な状況を生み出していった。(ちなみに黒船来航は1853年、大政奉還は1867年のことだ)
そんな状況の中、最後の将軍、徳川慶喜は疲労困憊し、医師から処方された阿片という薬に助けられたのだ。もし「阿片」が悪ならば、慶喜に処方されなかっただろうし、たとえされたとしても、それは秘中の秘にされ、歴史に残ることは無かったであろう。
昔は貴重で高価だった阿片が、科学技術の進歩により、安価になり純度の高い薬物に変化していったことは想像にかたくない。
現在では、1912年のハーグ阿片条約、これを引き継ぐ1961年の麻薬に関する単一条約において国際統制下にある。

阿片といえば「阿片戦争」(1840年から2年間)が思い浮かぶ・・・。

 
******************************
大和心を語るねずさんのひとりごと

阿片戦争

阿片(アヘン)戦争といえば、多くの人々の一般的認識は「日本の幕末の頃、大英帝国が支那に阿片を無理矢理売り付けようとして起こした侵略戦争」というものであろうと思います。

実際はどうだったのでしょうか。

なるほど当時の英国が、植民地主義国家であったことは事実です。
けれど本当に英国は、支那人を麻薬漬けにするために阿片を大量に支那に持ち込んでいたのでしょうか。

実際はどうだったのでしょうか。
歴史は、現在の価値観で図ろうとすると、大きな間違いを犯すことになります。
当時の時代背景を、まずよくみてみないといけない。
そういう目でこの時代を見ると、実はこの当時、阿片を含めて、いま言われるところのいわゆる「麻薬類」の販売、所持、吸引など、まったく規制外であったことがわかります。

たとえば、有名なシャーロック・ホームズは、コカイン常習者です。
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」は、薬物で酩酊状態になったときの世界観を表現した小説とされています。

なかでも阿片についていえば、当時は麻薬ではなく、むしろ沈痛、咳止め、睡眠導入効果のある嗜好品として、普通にそこらで売られていた商品でした。
そもそも当時の阿片は、精製がさほどよくありません。

阿片と人類の歴史は古く、いまから5400年前のメソポタミアでは、すでに芥子の栽培がされています。
5000年前のイランの石版には、古代シュメール人が、芥子からどうやって乳液を採取したかについてが書かれています。
4000年前には、芥子はヨーロッパや、中東、中央アフリカなどで広く栽培されていたし、3500年前のエジプトでは、阿片が製造されていた事がパピルスの文書で明らかになっています。
いずれも、麻薬や金儲けのための薬物としてではなく、鎮痛剤や、睡眠導入剤として、普及していたものです。
阿片は、シルクロードを経由して、支那に医薬品として持ち込まれています。
三国志に登場する医師、華佗の用いた麻酔薬が、阿片です。

阿片が日本にやってきたのは、室町時代のことで、支那からもたらされています。
当時の日本では、阿片は「阿芙蓉(あふよう)」と呼ばれ、医療用の鎮痛剤として、ほんの少量流通していたにすぎません。
阿片が、日本国内に広く普及するようになったのは、幕末の頃です。

江戸中期に、すでに国内での芥子栽培や、阿片抽出技法が確立されていた日本では、万一怪我をしたときの用心で、全国的に広く普及したのでしょう。

さて、こうして鎮痛のための特効薬としての阿片は、1830年代には、世界貿易の主役となりました。
とりわけ大英帝国の東インド会社が精製したインド・ベンガル産の阿片は、とびきり品質が良く、効き目の高い特産品として世界中に広く輸出されました。
誤解をしてはいけないので、くどく書いておきますが、悪質な麻薬としてではなく、あくまで健全な医薬品として流通していたのです。

医薬品というのは、少量でも高単価です。
しかも栽培地が植民地で、極端に安い土地と労働力で栽培された阿片は、原価が極端に低く、しかも単価が高く、貿易用商品としては、極端に効率性の良い商売だったわけです。
おかげで東インド会社は、ベンガル阿片でたいへんな利益をあげています。
このように阿片は、国際貿易の主力商品だったわけですから、当然英国は支那に大量の阿片を輸出し、販売します。
繰り返しますが、当時阿片は合法的な医薬品です。

けれど、このことが大きな問題をひき起したのです。
だいたい他の誰かが大もうけしていると知ると、すぐにそれを真似して、粗悪品を「安かろう、悪かろう」で売りまくるのが今も昔も変わらない、支那人です。
支那人たちは、阿片が儲かると知ると、芥子を支那国内で大量に栽培し、英国の阿片の半値で売りまくったのです。
ただし、粗悪品です。
これだけなら、まだ良かったのです。
問題は、その商売のやり方です。

英国は、貿易は、民間会社が行います。
そして民間会社の安全を、英国が国家として軍を出動して保護します。

これに対し支那は、民間が商売で設けると、そこに官僚が割って入って法外な賄賂をとり、さらには商売そのものを官営にして取り上げてしまう。
こうなると値段も吊り上がります。
結果、英国製の阿片も、支那産の阿片も、たいして値段はかわらない。
それでいて英国産の阿片の方が、品質が安定していて、はるかに効き目が良いとなると、当然、売れるのは英国産ばかりになります。
英国は、貿易は、民間会社が行います。
そして民間会社の安全を、英国が国家として軍を出動して保護します。
これに対し支那は、民間が商売で設けると、そこに官僚が割って入って法外な賄賂をとり、さらには商売そのものを官営にして取り上げてしまう。
こうなると値段も吊り上がります。
結果、英国製の阿片も、支那産の阿片も、たいして値段はかわらない。

それでいて英国産の阿片の方が、品質が安定していて、はるかに効き目が良いとなると、当然、売れるのは英国産ばかりになります。

当時、英国は陶磁器や茶などを支那から大量に買い付けていました。
一方で良質な阿片を支那に販売していたわけです。

ところが、英国産阿片がたいへんな人気となったことから、英国側の貿易収支は、当然大黒字、支那からみれば、対英貿易は大赤字です。
貿易通貨としての銀が、支那から大量に流出してしまう。

当時の支那政府は、清朝です。
このことに青くなった清朝政府は、二つの理由から、阿片の輸入の規制に乗り出します。

ひとつは、国内産の阿片商売の独占のため。
もうひとつは、銀の流出阻止のため。

そして阿片問題解決のための特命大臣に林則徐を任命し、上海に向かわせます。

さて、「なるほど。政府が規制したのなら英国産の阿片は、輸入が相当減ったのだろうなあ」
そう思うのが、日本人のお人好しなところです。
支那では、そうは問屋が卸さない。

中央政府が規制しても、現場ベースでは、官僚たちが規制を盾に多額の賄賂をとって大儲けしたのです。
特命大臣の林則徐などは、まさにこれで大儲けしました。

結局、官僚たちの賄賂の分だけ、支那国内で流通する英国産阿片の値が高くなっただけで、阿片の流通はまるで止まらない。当然、清国内の銀の流出も止まらない。

こうなるといきなり過激になるのも、支那の特徴です。
なんと清朝政府は、天保9(1838)年、英国産阿片を吸引した者は死刑にするというお布令を出したのです。
要するに、英国産の阿片は使うな。使うなら支那産の阿片を使え、というわけです。

これでは英国の東インド会社は、商売になりません。
当然特命大臣の林則徐に猛抗議します。

けれど今度は林則徐も強硬です。
「今後一切阿片を清国に持ち込まないと誓約書を差し出せ」と英国側に申し入れたのです。

支那人にとっては、誓約書というのは、一時しのぎのための建前のための紙でしかない、というのが常識です。
別に、紙くらい、いくらでも書けば良いではないか、と彼らは考える。

けれど、西欧社会では、誓約書を差し出すことは、イコール、契約を交わすことです。
破れば法外な損害賠償を請求されると考えます。

つまり、誓約書を差し出すことは、今後の商売そのものの根幹にかかわると考える。
当然、英国は、これを拒否します。

ところが、民間貿易というのは複雑なもので、同じ英国商船でも、トマス・カウツという商船は、阿片以外の商材を扱っていたことから、ハイハイと、気軽に誓約書を書いてしまった。
トマス・カウスが書いたのに、なぜ他の船は書けないのか。
清国官僚の林則徐にしてみれば、実に不思議不思議なことでしかありません。
貿易は貿易、あくまで誓約書だけは先に出しなさいと、さらに強硬に英国側に申し入れます。

英国にしてみれば、阿片を規制してこれまでさんざん法外な賄賂をとったあげく、こんどは誓約書を差し出せ、阿片交易に関わりのない船が誓約書を出したのだから、他の船も誓約書を出せ。
誓約書を書いたら、今度は何を要求されるのかわかったものではありません。

当時、英国政府を代表して対清国貿易の観察を行っていたチャールズ・エリオット卿は、他の商船までトマス号に便乗して誓約書を出そうとしたから、これを軍艦を出して引き止めます。
ところが、清国特命大臣の林則徐は、これに対して、口頭で拒否します、と答えます。
エリオット卿は、国家を代表して書面で要望書を出したのです。
これを、夜郎自大にも、口頭で回答した。
まさに失礼千万です。

そもそも、昔の国際交易というのは、根底に法がありません。
約束を守らないなら、武力をもってお答えする、という軍事力が背景となって国際貿易の安全性が担保されていたのが、19世紀の国際交易です。

チャールズ卿は、事態の趨勢を英国議会に報告します。
英国議会は賛成多数で清国に対する武力による威嚇を承認します。
そして天保9(1838)年11月3日に、勃発したのが、阿片戦争なのです。

戦後の日本は、ちゃんとした歴史観を失った国となってしまいました。
歴史を取り戻すこと。
それは日本が覚醒する第一歩なのではないかと思っています・・・。

******************************

我が敬愛する後藤新平の、阿片に関する秀逸なエピソードを紹介しよう。
そしてもう一つ・・・。

******************************
後藤新平 - Wikipediaより 

阿片漸禁策
当時は中国本土と同様に台湾でも阿片の吸引が庶民の間で普及しており、これが大きな社会問題となっていた。また、「日本人は阿片を禁止しようとしている」という危機感が抗日運動の引き金のひとつともなっていった。これに対し後藤は、阿片を性急に禁止する方法をとらなかった。
後藤はまず、阿片に高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに吸引を免許制として次第に常習者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功し、阿片常習者は徐々に減少した。総督府の統計によると、明治33年(1900年)には16万9千人いた阿片常習者は大正6年(1917年)には6万2千人、昭和3年(1928年)には2万6千人にまで減少している。こののち総督府では昭和20年(1945年)に阿片吸引免許の発行を全面停止、施策の導入から50年近くをかけて台湾では阿片の根絶が達成された。

******************************

「船戸与一を読む」より

満洲国の経営はどれほど阿片に頼ったのか?
2016年06月03日

 満洲国演義では、特に前半に阿片からの収入で国家財政と戦費を賄った話がよく出てくる。船戸与一氏は文献をよく調べて書いているのでもちろん事実なのだろうが、公的文書などで事実を確かめられるものはないだろうか、とネットで調べてみた。
 今回は満洲国財政がどれほど阿片に頼ったのかを確かめてみたい。

 よくまとまった資料としてヒットしたのが北海道大学の経済学研究論文、「「満州国」特別会計予算の一考察」である。一般会計のデータがないので全体像が掴めないものの、特別会計の中に専売事業もしくは阿片専売事業を見つけることができる。

 阿片専売事業の推移を見てみると、1932年に専売事業1本で表示されていたものが、阿片専売や投資、煤油類専売などに分けて表示されたり統合されたりしている。阿片専売がそれ単独で表示されているのは1935年と1936年の2年のみであり、それ以外の年は専売事業の一構成要素とされている。阿片専売事業の1935年の収入額は1461万円、1936年の収入額は3,769万円となっている。
ただし、1935年は元号変更の影響により7月から12月まで半年分の予算が組まれているので、収入は半分になっている。したがって、1936年のデータだけが唯一1年分の阿片専売事業の収入を示している。

 次に1936年の予算の全体像を見てみよう。これは「近代デジタルライブラリー」サイトの「満洲国大系」から確認することができた。この予算書に載っている阿片専売収入は上の研究論文の数字と一致している。原本はこちらを参照されたい。

 一般会計の予算書によれば、1936年における一般会計の収入総額(予算)は2億19百万円である。このうち専売利益全体の繰入合計は13百万円であり、阿片専売のみの繰入金は示されていない。
 次に阿片専売事業の収支を見てみよう。
 阿片専売事業は3,769万円の収入に対し支出は3,213万円(利益556万円)となっている。この支出が一般会計への繰入分を含んでいるのかどうかは特別会計の繰越金が表示されていないため残念ながら特定できない。ここでは含まれているものと仮定する。
 阿片専売事業から一般会計への繰入額の過去実績をみると、前年度の繰入2百万円(半年分)、前前年度の繰入4百万円(1年分)である。1936年も同様だとすると阿片専売のみの利益は多くとも10百万円以下(4百万円+556万円)であったと推察される。

 この事実から、1936年の阿片専売に対する財政依存度は最大限に多く見積もっても5%程度(=10百万円÷2億19百万円)であり、阿片専売に頼って国家運営をしていた、とまでは言えないであろう。

 それでは満洲国の財源はどこにあったのだろうか?
 1936年の税金収入予算は1億70百万円であり、総予算の実に78%は税金で賄われている。また、国債はたったの10百万円に過ぎない。

 以上をまとめると、満州国の財政の阿片専売利益依存度は思ったほど高くはなく、主に税金収入を財源としていたのである。

posted by さすらい人 at 10:00|Comment(0)|まとめふう・・・。

******************************

門馬は深いため息をついた。
満州国、阿片、密輸で、こんなにも心が乱れ、折れそうになるとは思いもよらなかった。
他の国のことなら人間なんてそんなものさと、大きく構えていられるのに。自分は心が狭いのか?

そういえば、イギリスでは阿片戦争をどう教えているのだろうか・・・。

******************************
ヤフー知恵袋より
「アヘン戦争」は、イギリスの歴史の授業ではどういうふうに教えられていますか?

ベストアンサーに選ばれた回答

cider_kondoさん
2011/2/615:51:28
まず、「教えていない」はデマです。
イギリスの各歴史教科書(正確に言うとちょっと違うんですが)の目次が訳出されており、Stanley Thornes社の教科書の場合にはちゃんとアヘン戦争という項目名が出ています。他社でも奴隷貿易とか都市の不潔であるとか、いわゆる負の側面にスポットを当てた項目がたいてい入っています。
そもそもイギリスには教科書検定制度がありません。また、いわゆる学習指導要綱にあたるものの拘束性もかなり低いものです。
日本ですと教科書が全ての基盤ですが、イギリスの場合は「たくさん使う資料の中で一応の主役っぽいもの」程度です。

これは、歴史教育の狙いは2007年版のNational curriculumを見ても、やはり、多元性を重視する内容になっており、要するに歴史が答えの決まった一本道ではなく、いろいろな見方があって、そういう思考力を養うために重要な科目だ、という位置づけになっているためです。

以下略

ベストアンサー以外の回答

usakura23さん
2011/2/611:46:52.
教えられていないようです。
>[10:イギリスの教科書記述 ]
>中国侵略、ホンコン領有のきっかけとなった アヘン戦争について、イギリスの教科書ではどのように扱っているのかご存じですか?。じつは ほとんどの教科書では、アヘン戦争について 触れられていないのです。それだけでなく アジア、アフリカ、カリブ海地方などで、多数の住民を植民地支配したことについても、
>「 植民地を設けるという意味での帝国主義は、何世紀にもわたって ヨーロッパの国々がよくやってきていたことであった。大砲と軍艦を持ち、 規律と組織性に優れた ヨーロッパ人は、つねに 非 ヨーロッパ人種を屈服させる ことが出来たのである。」、 ( 歴史はどう教えられているか 、NHK BOOKs から )。
>と書かれていましたが、そこには日本のように過去の植民地支配に対する、 自虐史観や贖罪意識 などは全く存在せず、ヨーロッパの白人種が強く、優れていたからこそ 有色人種 を植民地支配できたのだとしていました。

mekuriya394さん
2011/2/611:09:18
教えていません。アヘン戦争は無かったことになっています。日本だって教えていないことは山ほどある。無邪気な子供たちが何もしらないだけです。

toeuryantheさん
2011/2/610:18:10
まあ、ごく単純に、年度が書いてあるだけでしょう。

arai034blueさん
2011/2/607:13:45
どの国でも都合の悪いことは教えません。それを暴きたがるのは、そのことで利益のある外国です。

******************************

「人間なんて、みんな似たり寄ったりさ。スペイン人がインディオたちにしたことを、日本人だって中国人にしてたんだ。だから日本人は恨まれて当たり前、1000年たっても許してもらえるはずもない。日本人に生まれてきたというだけで心の中に闇を抱え、生きていかなければならない…」
日本人の中の日本人、普通の善良な人々ほど、そう、思い込んでいる。
中国韓国から理不尽な要求をされても、受け入れなければならない。罪滅ぼしのために…、いつかは許してくれると信じて…。
「南京大虐殺」
「従軍慰安婦」
この忌まわしい濡れ衣を今晴らさなければ、未来永劫、何世紀にも渡って我々の子々孫々に祟るであろう。
恐るべきことに、すでにその兆候は表れている。。
日本中を震撼させた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1989年)
その数年前、「従軍慰安婦問題」、朝日新聞による捏造報道があった。単なる戦時売春婦としての実態からかけ離れた「性奴隷」の物語をマスコミはセンセーショナルに取り上げた。
「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などの反日プロパガンダが、少年たちの精神に異常な影響を与えたであろうことは否定できない。もし犯人の少年たちが生粋の日本人であるならば、自分たちも同様のことをしてみたいという欲望に駆られて、もしそうでないならば、日本人に対する復讐劇として、事件は起こった。
 
新聞というものはいつの時代も、国民を間違った方向に導こうとするものなのか? 「サラエボの悲劇」も、新聞報道が扇動し火をつけた。かつて、サッカー元日本代表監督のオシムは述懐している。
惨殺された、女子高校生の断末魔の叫びが聞こえるか? マスコミで働く人たちは、自分の子供や孫やその子供たちに恐ろしい厄災が降りかかる、そのことに考えが及ばないのか?
こんな腐ったマスコミこそ、日本の永久戦犯ではないのか!

「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」が、事実であるのか、そうではないのかと延々と論じる前に、そこには、最も大切な「教育」という観点がすっぽり抜け落ちている。
本来、無邪気で天使のようであるべき(中国の)子供たちは、反日教育という毒(憎しみ)を吹き込まれ、モンスターに育てられている。
これらの悪意によって、日本人がいかに不利益を被るか、危険にさらされているか、想像するだけで恐ろしい。海外で日本人が巻き込まれる悲劇的な事件、もしかしたら、その大半は…。

******************************

日本人小学生の放った言葉に中国人家族が絶句、「われわれの愛国教育は間違っていた!」―中国メディア
Record China 1月13日(月)0時10分配信


2014年1月8日、中国のゆがんだ愛国主義教育が、純粋な子供の心をねじ曲げてしまったことを如実に示すエピソードを、中国人ユーザーが軍事関連ネット掲示板・米尓社区に投稿した。以下はその内容。

日本人男性と結婚した従姉が、夫と彼の親戚の男の子を連れて中国に里帰りした。男の子は俊夫という名の小学校1年生。見知らぬ国で言葉の通じない人々に囲まれて、とても緊張している様子だったが、一生懸命カタコトの中国語で私たちに挨拶し、深々とお辞儀をした。その姿がとても愛らしく、私たちはいっぺんで俊夫のことが大好きになった。

だが、その従姉の一番上の姉の子、小学3年生の鵬鵬(ポンポン)だけは違った。最初から敵意むき出しの顔で俊夫をにらみつけ、こぶしを振り上げると「打倒小日本(ちっぽけな日本をやっつけろ)!」と叫んだのだ。これには俊夫も周りの大人もビックリ。鵬鵬の父親が彼を叱ると、「だって、日本人は中国人の敵じゃないか!学校の先生もそう言ってたもん。パパたちは中国を愛してないんだ!」と言って泣き出した。そこで、「先生が言っているのは歴史だ。今は日本と仲良くしなきゃ。それに俊夫は私たちの大切なお客さんなんだから」と言い聞かせると、「じゃあ、パパやママはなぜ毎日、日本が中国の土地を奪ったから日本製品をボイコットするなんて言ってるんだよ?学校で見せられた教育アニメでも、日本帝国主義を打倒しろって言ってたよ!」と反論した。

幸いなことに、中国語の分からない俊夫に鵬鵬と父親の会話の中身を知られることはなかった。俊夫は本当にいい子で、自分でできることは自分で全部する。礼儀正しく、大人を敬い、食事の際は全員が箸をとり、従姉が日本語で「いただきます」と言ってから、自分の箸をとる。それに比べて、鵬鵬はどうだ。部屋は汚い。自分では何もしない。食事は当然のように自分が好きな料理を一人占めし、彼を溺愛する大人たちもわざわざ好物を取り分けてやる。

私たちは「鵬鵬が俊夫みたいだったらいいのに」と心から思ったものだ。そんな鵬鵬もだんだん俊夫に打ち解け、2人で遊ぶことも多くなった。お互いに日本語や中国を教え合っている姿を見て、「やっぱり、子供は子供同士だ」と安心した。

最後の晩、従姉とその夫は買い物に出かけていて、私たちはみんなでテレビを見ていた。そこへ鵬鵬が得意げな顔で俊夫を連れてきて「俊夫がみんなに言いたいことがあるって」と言った。俊夫は顔を赤くしながら恥ずかしそうにほほ笑んで、たどたどしい中国語でこう言った。

「僕は死んで当然の日本人です。僕は中国人に謝ります」

俊夫のこの言葉にその場の大人たちは全員凍りついた。鵬鵬の父親はすぐさま彼をトイレに引きずって行き、中から「パン!」と引っぱたく大きな音が聞こえた。真相はこうだ。鵬鵬は俊夫に「みんなが喜ぶ言葉がある」とだまして、あの言葉を覚えさせたのだ。

こんな小さな子供がここまで日本を憎むとは、あまりにもおかしい。鵬鵬の愛国観はすでにゆがんでしまっている。善良で純粋で友好的な日本の子供を前にして、中国の子供がどれほど恐ろしい敵意と憎しみを日本に抱いているかを私たちは思い知らされた。中国の愛国教育はもっと客観的で冷静であるべきではないのか。(翻訳・編集/本郷)

******************************

蘭太郎の瞳が曇るのを見たくはない。人間であることが嫌になるような、おぞましい出来事は知らせたくない。
だが、日本の美しい夜明けを迎えるためには、この、暗く厳しい夜に耐えなければならない…。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

aoimikaduki

Author:aoimikaduki
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。